残業代請求の理論と実践

弁護士渡辺輝人のブログ。残業代(労働時間規制)にまつわる法律理論のメモ、裁判例のメモ、収集した情報のメモ等に使います。

資料:東京地判平成26年4月4日

 東京地判平成26年4月4日(DIPS(旧アクティリンク)事件)。固定残業代に関する裁判例だが、下記の除外賃金に関する指摘も興味深い。異種の除外賃金同士が渾然一体として区分不可能である場合は、除外賃金にならない。

  (ウ) 被告は,原告に支給していた賃金のうち,住宅手当は,労働基準法施行規則21条3号により基礎となる賃金から除外される旨を主張する。

 しかし,本件賃金規程によれば,住宅手当は,1万円ないし5万円の範囲で支給されるものと定められているものの,これが従業員の住宅に要する費用に応じて 支払われていると認めるに足りる証拠はない(なお,被告が主張するように,この手当が扶養家族がいるかどうか,賃貸か持ち家かなどを考慮して支給されてい るのであれば,住宅に要する費用に応じて算定される手当ではないということになる。また,被告の主張を,住宅手当が,労働基準法37条5項に規定する家族手当と労働基準法施行規則21条3号に規定する住宅手当の混合的性質を有する手当である旨の主張と善解したとしても,具体的に,扶養家族の有無及び人数,賃貸か持ち家か等の要素が支給額の決定においてどのように考慮されているのかは証拠関係上全く不明であって,やはり被告の主張は理由がない。)。

 よって,住宅手当は,労働基準法施行規則21条3号の住宅手当には当たらないというべきである。

 (エ) そうすると,基礎となる賃金の額は,別紙割増賃金等集計表「基礎となる賃金」「合計」欄記載のとおりとなる。

 

 

 

資料:割増賃金制度の意義自体に消極的な研究者の発言

荒木尚志『労働法 第2版』(2013年5月30日 有斐閣)153~154頁

しかし、現行制度では、割増賃金の計算基礎となる賃金から、前述のように各種手当、ボーナス等が除外されている。日本の場合、ボーナス等の年収に占める割合が高いため、現状の割増賃金制度では経済的コストによる時間外労働抑制の効果はあまり期待できないこととなる。

朝倉むつ子「労働時間法制のあり方を考える~生活者の視点から」(『自由と正義』2016年2月号41頁以下。該当部分は47頁)

労働時間短縮の手法は、実は、労基法の中にすでに存在している。労働組合が本気で時短に取り組むのであれば、36協定を通じて時間外労働を拒否することは可能であり、上弦時間もコントロールできるはずだからである。しかし、労働組合はその手法を使わず、むしろ一定の時間外労働手当の獲得を目指してきたし、個々の労働者も、労働時間より賃金に関心を示す傾向があった。このように、割増賃金を支払わせることを通じて時間外・長時間労働を抑制するという現行の手法は、率直に言ってリアリティに欠けるものでしかない。

 

資料:東京地判平成27年9月8日

東京地判平成27年9月8日(出典はウェストロージャパン)

事件番号 平24(ワ)33296号

事件名 賃金請求事件

文献番号 2015WLJPCA09088023

 

 時効の中断についての裁判例。固定残業代や、除外賃金の論点で有名な小里機材事件は、労働組合の副委員長が団体交渉で労働者全員分の未払い残業代を請求したことをもって個別の労働者との関係での時効中断を認めた判決であり、最高裁でも結論が是認されている。この事件はその趣旨から小里機材事件の最高裁判決を引用している。 

  イ 時効中断の有無

 (ア) 催告の有無

 そもそも,民法153条は,簡易な催告に時効の中断効を認めつつ,その中断効を確定的なものとせず,6か月以内に正式の中断手続をとることにより初めて確定的に中断の効力を認めることにしているから,実際の催告について,方式は問われず,また,債権の内容を詳細に述べて請求する必要はなく,どの債権か分かる程度の指示があれば足り,黙示的な催告でもよいものと解されるところ,前提事実(第2の1(5)ア及びイ)によれば,原告らは,その所属する訴外労組に授権した上で,同労組を通じて,平成24年5月2日付け「要求書並びに団交申し入れ書」及び同月17日付け「回答書」により被告らに対し未払割増賃金の支払を請求する意思を通知し,両通知はそのころ被告らに到達したものと認められ,これは催告に当たるといえる。

 これに対し,原告らは,同月24日付け「未払割増賃金請求書」まで請求が完結しておらず,代理行為に求められる顕名も行われていなかったなどと主張し,この点,たしかに,それまでには組合員である原告らを具体的に特定した上での顕名があったわけではなく,前記「未払割増賃金請求書」まで至って「請求者」,「請求に至る考え方」,「請求期間」,「請求期間に係る未払い割増賃金額の計算方法」が具体的に明示されたという経緯があるが,請求として認められるか否かとは別に,訴外労組加入のパート労働者である原告らの被告らに対する債務履行請求の意思の通知として認められるか否かという観点からみれば,前記「回答書」までで足りるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和63年7月14日第一小法廷判決・労働判例523号6頁参照)。

 そうすると,同年11月22日の本件訴訟提起(前提事実(第2の1(5)エ))は,催告から6か月を超えての提訴(裁判上の請求)になるものと解され,確定的な中断の効力を生じるための法定の要件を満たさないこととなる。

 

 

 

メモ:菅野和夫『労働法』における固定残業代の記述の変化

 菅野和夫教授の『労働法』(弘文堂)の記述の変遷。記述の仕方が変わったり、書き足しがあった場合は太字下線を付した。若干のコメントも付す。

菅野和夫『労働法』初版(1985年 弘文堂)220頁

(4)法所定の計算方法によらない割増賃金 割増賃金の規定が使用者に命じているのは、要するに、時間外・休日・深夜労働に対し一定額以上の割増賃金を支払うことにあるので、そのような額の割増賃金が支払われるかぎりは同規定所定の計算方法をそのまま用いなくてもよい。たとえば、割増賃金の計算の基礎に算入すべき賃金を除外しているが、割増率を高くしているために実際に支払われる割増賃金が法所定の計算による割増賃金以上となるという場合には、割増賃金不払いの法違反は成立しない(昭二四・一・二八基収三九四七号)。また、法所定の割増賃金に代えて一定額の手当を支払うことも、法所定の計算による割増賃金を下回らない限りは適法である(荒木尚志[批判]ジュリ八一九号一五四頁)。

 この間に小里機材事件の判決(東京地裁判決1987年1月30日、東京高判1987年11月30日、最判1988年7月14日。三つとも労判523号6頁以下掲載)が出され、『労働判例』(1988年10月15日号)に掲載され、同地裁判決で明確区分性要件に言及したが、『労働法』第2版では言及なし。

菅野和夫『労働法』第2版補正版(1989年4月20日 弘文堂)216頁

* 法所定の計算方法によらない割増賃金  割増賃金の規定が使用者に命じているのは、要するに、時間外・休日・深夜労働に対し一定額以上の割増賃金を支払うことにあるので、そのような額の割増賃金が支払われるかぎりは同規定所定の計算方法をそのまま用いなくてもよい。たとえば、割増賃金の計算の基礎に算入すべき賃金を除外しているが、割増率を高くしているために実際に支払われる割増賃金が法所定の計算による割増賃金以上となるという場合には、割増賃金不払いの法違反は成立しない(昭二四・一・二八基収三九四七号)。また、法所定の割増賃金に代えて一定額の手当を支払うことも、法所定の計算による割増賃金を下回らない限りは適法である。

菅野和夫『労働法』第3版(1994年5月30日 弘文堂)228~229頁

* 法所定の計算方法によらない割増賃金  割増賃金の規定が使用者に命じているのは、要するに、時間外・休日・深夜労働に対し一定額以上の割増賃金を支払うことにあるので、そのような額の割増賃金が支払われるかぎりは同規定所定の計算方法をそのまま用いなくてもよい。たとえば、割増賃金の計算の基礎に算入すべき賃金を除外しているが、割増率を高くしているために実際に支払われる割増賃金が法所定の計算による割増賃金以上となるという場合には、割増賃金不払いの法違反は成立しない(昭二四・一・二八基収三九四七号)。また、法所定の割増賃金に代えて一定額の手当を支払うことも、法所定の計算による割増賃金を下回らない限りは適法である(営業社員の時間外労働手当を営業手当として固定額で支払うことも、法所定の割増手当額を上回っていれば適法。関西ソニー販売事件-大阪地判昭六三・一〇・二六労判五三〇号四〇頁、三好屋商店事件-東京地判昭六三・五・二七・労判五一九号五九頁)。ただし、法所定の計算方法によらない場合にも、割増賃金として法所定の額が支払われているか否かを判定できるように、割増賃金相当部分とそれ以外の賃金部分とを明確に区別することを要する(国際情報産業事件-東京地判平三・八・二七労経速一四三七号二四頁)。

 第3版で初めて明確区分性の要件に言及するが、小里機材事件には言及しない。高知県観光事件の最高裁判決は直後の1994年6月13日に出されており、惜しくも出版タイミングと合わなかった。

菅野和夫『労働法』第4版2刷(1996年1月15日 弘文堂)239~240頁

* (註:第3版と同じ)

** 歩合給と割増賃金 歩合給や出来高給についても、法三七条の規制は及び、「通常の労働時間の賃金」の計算方法が定められている(労規則一九条一項六号)。そこで、タクシー会社の乗務員に支払われる歩合給に関し、時間外・深夜労働が行われたときも金額が増加せず、また、右の歩合給のうちで通常の労働時間に当たる部分と時間外・深夜の割増賃金に当たる部分とを判別することができない場合には、当該歩合給の支給により時間外・深夜労働の割増賃金が支払われたものとすることはできず、使用者は右諸規定に従って計算した割増賃金を支払う義務を負う(高知県観光事件-最二小判平六・六・一三労判六五三号一二頁)。

 第4版で高知県観光事件最高裁判決に言及。「また、」の挿入問題。

菅野和夫『労働法』第6版2刷(2004年1月15日 弘文堂)285頁

* 法所定の計算方法によらない割増賃金  割増賃金の規定が使用者に命じているのは、要するに、時間外・休日・深夜労働に対し一定額以上の割増賃金を支払うことにあるので、そのような額の割増賃金が支払われるかぎりは同規定所定の計算方法をそのまま用いなくてもよい。たとえば、割増賃金の計算の基礎に算入すべき賃金を除外しているが、割増率を高くしているために実際に支払われる割増賃金が法所定の計算による割増賃金以上となるという場合には、割増賃金不払いの法違反は成立しない(昭二四・一・二八基収三九四七号)。また、法所定の割増賃金に代えて一定額の手当を支払うことも、法所定の計算による割増賃金を下回らない限りは適法である(営業社員の時間外労働手当を営業手当として固定額で支払うことも、法所定の割増手当額を上回っていれば適法。関西ソニー販売事件-大阪地判昭六三・一〇・二六労判五三〇号四〇頁、三好屋商店事件-東京地判昭六三・五・二七・労判五一九号五九頁)。ただし、法所定の計算方法によらない場合にも、割増賃金として法所定の額が支払われているか否かを判定できるように、割増賃金相当部分とそれ以外の賃金部分とを明確に区別することを要する(国際情報産業事件-東京地判平三・八・二七労経速一四三七号二四頁。年俸制社員にも同じ規制が及ぶ-創栄コンサルタント事件-大阪地判平一四・五・一七労判八二八号一四頁)。

** 歩合給と割増賃金 歩合給や出来高給についても、法三七条の規制は及び、「通常の労働時間の賃金」の計算方法が定められている(労規則一九条一項六号)。そこで、タクシー会社の乗務員に支払われる歩合給に関し、時間外・深夜労働が行われたときも金額が増加せず、また、右の歩合給のうちで通常の労働時間に当たる部分と時間外・深夜の割増賃金に当たる部分とを判別することができない場合には、当該歩合給の支給により時間外・深夜労働の割増賃金が支払われたものとすることはできず、使用者は右諸規定に従って計算した割増賃金を支払う義務を負う(高知県観光事件-最二小判平六・六・一三労判六五三号一二頁。参照、徳島南海タクシー事件-最三小決平成一一・一二・一四労判七七五号一四頁)。

 以降、第10版(2012年12月15日 弘文堂)まで同じ記述。安定期と言える。固定残業代に関する判例・裁判例が2012年前後に激しく動き始めていることも表している。テックジャパン事件最高裁判決(最判平成24年3月8日)は出版前に出されたが、第10版において、分析・原稿の修正をするには間がなかったと思われる。

菅野和夫『労働法』第11版(2016年2月29日 弘文堂)498~499頁

(6)法所定の計算方法によらない割増賃金 割増賃金の規定が使用者に命じているのは、要するに、時間外・休日・深夜労働に対し同規定の基準を満たす一定額以上の割増賃金を支払うことにあるので、そのような額の割増賃金が支払われるかぎりは同規定所定の計算方法をそのまま用いなくてもよい。たとえば、割増賃金の計算の基礎に算入すべき賃金を除外しているが、割増率を高くしているために実際に支払われる割増賃金が法所定の計算による割増賃金以上となるという場合には、割増賃金不払いの法違反は成立しない(昭24・1・28基収3947号)。また、法所定の割増賃金に代えて一定額の手当を支払うことも、法所定の計算による割増賃金を下回らない限りは適法である22)。ただし、法所定の計算方法によらない場合にも、割増賃金として法所定の額が支払われているか否かを判定できるように、通常の労働時間の賃金部分と割増賃金相当部分とを明確に区別することを要する23)

* 歩合給と割増賃金 歩合給や出来高給についても、割増賃金規程(三七条)の規制は及び、「通常の労働時間の賃金」の計算方法が定められている(労規則一九条一項六号)。そこで、タクシー会社の乗務員に支払われる歩合給に関し、時間外・深夜労働が行われたときも金額が増加せず、また、右の歩合給のうちで通常の労働時間に当たる部分と時間外・深夜の割増賃金に当たる部分とを判別することができない場合には、当該歩合給の支給により時間外・深夜労働の割増賃金が支払われたものとすることはできず、使用者は割増賃金規程に従って計算した割増賃金を支払う義務を負う(高知県観光事件-最二小判平6・6・13労判653号12頁。参照、徳島南海タクシー事件-最三小決平成11・12・14労判775号14頁)

** 一定範囲の労働時間に対する定額賃金(時間外割増なし)の合意

最近のテックジジャパン事件―最一小判平24・3・8(労判1060号5頁)は、一定範囲の労働時間に対する割増賃金込みの定額賃金の適法性いかん、という新たな実際的問題を明らかにしている。

 この事件では、Y会社は、その雇用する契約社員X(プログラマー)に対し、所定労働時間は月160時間とし、賃金は、月間の総労働時間が140時間~180時間であれば月額41万円の固定額とし、月間の総労働時間が180時間をこえる場合には、こえる時間につき1時間当たり上記月額を上記月所定時間で除した時間当たり賃金額を支払い、140時間に満たない場合は、足りない時間につき時間当たり賃金額を控除する、との取扱いを行った。

本判決では、月間総労働時間が180時間以下であった月についての割増賃金支払義務の有無が問題となった。

 原審は、Xは、1カ月の賃金額が正社員より7万円も多い41万円であることから、標準的な月間勤務時間が160時間であることを念頭に置きつつ、それを月間20時間上回っても時間外手当を支給されない一方、月間20時間下回っても上記金額から控除がなされないとの幅のある給与支給方法を受け入れたものであり、正社員よりも格段に有利な賃金額を代償措置として、月間160時間から180時間の間の労働時間に関する割増賃金請求権をその自由意思によって放棄したものといえる、と判断した。

 しかし、最高裁は、原審判断を次のように覆した。

(1)本件の労働時間と賃金に関する約定によれば、毎月の時間外労働時間は1日の実労働時間数や1月の所定労働日数の変化によって相当大きく変動しうるにもかかわらず、41万円の定額賃金額の中における通常支払われるべき賃金額と労基法(37条1項)によって支払われるべき割増賃金にあたる部分とを判別することができない。このような場合には、割増賃金が支払われていると認めることができないことは当裁判所の判例高知県観光事件―最二小判平6・6・13労判653号12頁)とするところである。

(2)また、労働者による賃金債権の放棄がされたというためには、その旨の意思表示があり、それが当該労働者の自由な意思に基づくものであることが明確でなければならないところ(シンガー・ソーイング・メシーン・カムパニー事件―最二小判昭48・1・19民集27巻1号27頁)、①そもそも本件雇用契約の締結当時またはその後にXが時間外手当の請求権を放棄する旨の意思表示をしたことを示す事情の存在がうかがわれず、また、②Xの毎月の時間外労働時間は相当大きく変動し得るものであり、Xがその時間数をあらかじめ予測することが容易でないことからすれば、Xの自由な意思に基づく時間外手当の請求権を放棄する旨の意思表示があったとはいえない。

 上記のように、本判決は、まず第1に、本件のような時間外割増のない定額賃金制度についても、通常の労働時間の賃金部分と時間外・深夜労働の割増賃金部分とを判別できない場合には、時間外・深夜労働の割増賃金が支払われたものとすることはできないとの判例法理がそのまま妥当することを明らかにした(判旨(1))。

 それでは、割増賃金込みの基本給は一切許されないのか、割増賃金を放棄したという理屈はどうかというのが次の論点である。最高裁は、労働者による賃金債権の放棄がされたというためには、当該労働者の自由な意思に基づく明確な意思表示がなければならない、との判例を引用したうえ、①本件契約締結時またはその後において、Xが割増賃金請求権放棄の意思表示を行ったとの事実はうかがえず、②また、本件における月額41万円定額賃金制の合意の中に、月間140~180時間の労働に関する割増賃金放棄の意思表示を含むものと解釈すべき合理性は認められない、と判示した。労基法所定の割増賃金請求権も放棄が全くありえないわけではないことを示唆しつつも、放棄の意思表示と理解しうる事情が必要であること、そして、たとえそのような事情がある場合でも、それが自由な合理的意思表示であったと評価するには慎重な判断を要すること、を示した重要な判例といえよう(文献として、岩出誠「みなし割増賃金をめぐる判例法理の動向とその課題」菅野古稀・労働法学の展望337頁以下)。

 

22) 営業社員の時間外労働手当を営業手当として固定額で支払うことも、法所定の割増手当額を上回っていれば適法である。関西ソニー販売事件-大阪地判昭63・10・26労判530号40頁、三好屋商店事件-東京地判昭63・5・27労判519号59頁。

23) 国際情報産業事件-東京地判平3・8・27労経速1437号24頁。年俸制社員にも同じ規制が及ぶ。創栄コンサルタント事件-大阪地判平14・5・17労判828号14頁。

 第2版以降、固定残業代の論点自体が「*」の階層に落ちていたが、第11版では括弧数字が振られ項目立てされた。この論点の重要性が増したことを示している。

 この間に出されたアクティリンク事件、イーライフ事件等の下級審裁判例や、テックジャパン事件の櫻井龍子判事補足意見にも言及しなかった。関西ソニー販売事件は、高裁判決があり、内規の上で労基則22条適用事案で、割増賃金37条の適用がそもそもない可能性があることが分かったが、裁判例として撤回されていないし、地裁判決のまま引用されている。

 テックジャパン事件で「通常の月給制」について、最高裁判所が時間比例性要件に再び言及したが、その点について言及しなかった。参照:菅野和夫教授による「また、」の挿入

 テックジャパン事件最高裁判決は「これらによれば、」としたうえで、高知県観光事件の最高裁判例を「参照」しているが、これを専ら判別要件のこととして高知間観光事件を参照しており、判旨の引用が誤引用されている。

「通常の労働時間の賃金」の意義と菅野和夫『労働法 第11版』で発生した論述の揺らぎ

 東大労働法研究会の研究者の多くは、労働基準法37条の割増賃金の意義について、法37条1項で明示的に規定されているのは25%の部分のみであるとする(25%説)。この場合、100%部分は、同条の趣旨及び労基法24条により原則として支払いが義務づけられるが、付加金の対象にはならない。

割増賃金の100%部分の賃金の意味

 この説では、100%部分は法37条の割増賃金ではないので、別途呼称が必要になるが、これを「通常賃金」(『注釈労働時間法』p491、『注釈労働基準法』p631~632。p632に「通常賃金(100%部分)」という記載がある。)、「通常の労働時間の賃金」などとしているように思われる。菅野和夫教授は『労働法 第11版』の496頁で以下のように述べる。

 * 通常の労働時間の賃金 賃金額が月によって定められている我が国の通常の賃金形態(月給制。437頁参照)では、割増賃金の計算の基礎となる「通常の労働時間の賃金」は、月による賃金額を「月における所定労働時間数」で除して算出される(労基則19条1項4号)。そこで、1日または1週の所定労働時間を短縮すること、および週休日を増加させることは、月の所定労働時間数を減少させ、割増賃金の算定基礎(時間単価)を増加させる。これが、我が国での「時間短縮によるコスト増」の重要な側面である。

菅野教授の言う「通常の労働時間の賃金」は明確に時間単価を示している。

 この点、労働基準法の文理解釈自体から、時間単価=労基法の37条1項の「通常の労働時間または通常の労働日の賃金」と言い切るのは難があり、『注釈 労働時間法』、『注釈労働基準法』、厚生労働省労働基準局編『平成22年版労働基準法 上』でも、その辺は慎重に取り扱っていて、直接的にそのような定義 の仕方はしていない。最高裁も後述のようにそのようは使っていないように思う。

 また、25%説に限らず、所定労働時間より多く法定労働時間制以下の時間帯の労働(法内残業)に対して、別段の定めがない限り支払われる100%部分の賃金についても「通常の労働時間の賃金」、「通常賃金」などと呼び習わされることが多い(『注釈労働時間法』p497、『注釈労働基準法』p637)。25%説に立った場合の割増賃金の100%部分と、規制の厳しさ(適用される労基法の条文)が異なるが、同じ計算で導かれる賃金なので、両者は概念がほぼ同一と思われる。

賃金の性質に着目した意味

 一方、「通常の労働時間又は労働日の賃金」は、割増賃金の算定基礎となる賃金(算定基礎賃金)全体を指す概念としても用いられる(『注釈労働時間法』p511、『注釈労働基準法』p644。両書とも「通常の賃金」の定義を置いているのはこの部分である)。これが本来の使い方であろう。この「通常の賃金」には(1)当該労働に普通の賃金という意味、(2)時間外・深夜でない通常の労働時間に当該労働がなされた場合の賃金、という二つの意味がある、とされる(『注釈労働時間法』p513)。

 両義的に使っていると生じる25%説特有の混乱

 結局、「通常賃金」「通常の賃金」「通常の労働時間の賃金」には、賃金の性質に着目して算定基礎賃金の側に寄せた概念と、その性質を前提にして労基則19条1項で具体的に算定された法内残業を含む残業代の100%部分ないしその時間単価、という両義的な意味があるように思われる。

 125%説に立つ場合、両者の意味を厳密に定義せず曖昧に使っていても、大きな混乱は起きないし、実際、多くの研究者は両者の意義を混同して使用しているように思える。大きな混乱が起きないのは125%部分全体が割増賃金であり、100%部分も「割増賃金」概念に包括され、その部分に独立した名称を与える必要がないからである(ただしどちらの意味で使っているのか紛らわしいという問題は125%説でもある)。

 しかし、25%説の場合、大きな混乱が発生し、本を読んでいて訳が分からなくなる。それが端的に表れているのが以下の記述である。

法所定の割増賃金に代えて一定額の手当を支払うことも、法所定の計算による割増賃金を下回らない限りは適法である。ただし、法所定の計算方法によらない場合にも、割増賃金として法所定の額が支払われているか否かを判定できるように、通常の労働時間の賃金部分と割増賃金相当部分とを区別できるようにすることを要する。

菅野和夫『労働法 第11版』p498)

 菅野教授は、既に述べたように、「通常の労働時間の賃金」について、労基則19条1項によって計算される割増賃金の100%部分の時間単価である旨、わざわざ定義している。上記の記述を真に受けると、菅野説では、固定残業代の論点に関する区分の要件(明確区分性要件)は、100%部分と25%部分を区分するための要件になってしまう。しかし、結果として支払われた(100%部分と25%部分が混在した)割増賃金の内部で両者の区分を試みても、菅野教授が言う「割増賃金として法所定の額が支払われているか否かを判定できるように」はならない。菅野説で100%部分と25%部分を区分する意味などないと思われる。

 菅野説において(のみならずどの立場に立っても)、区分が必要なのは、算定基礎賃金の側に寄せた意味での「通常の賃金」と、100%部分を含む割増賃金である(厳密に言うと、さらに除外賃金、法内残業代との区分も必要)。要するに算定基礎賃金と割増賃金の区分である。これを区分できれば、25%部分は(少なくとも)計算上は特定できるから菅野説によれば「割増賃金として法所定の額が支払われているか否かを判定できるように」なっているので、それで問題ない、ということになるはずである。

 つまり、菅野本第11版では、算定基礎賃金側に寄せた意味で「通常の労働時間の賃金」をいう言葉を使ってしまい、それが自らの定義した「通常の労働時間の賃金」とかみ合わないため、記述に揺らぎ(というか綻び)が生じているのである。この点、菅野本第10版まででは、上記引用した「通常の労働時間の賃金部分と割増賃金相当部分とを区別できるようにすること」は「割増賃金相当部分とそれ以外の賃金部分とを明確に区別すること」とされていた(この書きぶりでも「割増賃金部分」を25%部分と捉えるとやはり混乱が生じるが)。

 第11版で記述を書き改めたことによってわざわざ混乱を呼び込むことになったのである。では、なぜ書き改めたのか。それは、テックジャパン事件最高裁判決(最判平成24年3月8日)が以下のように述べたからだと思われる。最高裁の判決文に合わせて書きぶりを変えたら、論述に揺らぎが生じてしまったのである。

そうすると,月額41万円の基本給について,通常の労働時間の賃金に当たる部分と同項の規定する時間外の割増賃金に当たる部分とを判別することはできないものというべきである。 

 この最高裁の判決文において「通常の労働時間の賃金」が、算定基礎賃金の側に寄せた概念として使われていることは明らかだろう。すでに述べたように、25%説では、「通常の労働時間の賃金」について、法37条で明示的に規定されないがその趣旨により原則として支払われる100%部 分の賃金、という意味があるが、(菅野説に依り)法所定額以上の支払の有無を検証するために、この基本給の中ですべきなのは、算定基礎賃金たる「通常の賃金」と割増賃金の区分であり、上記、割増賃金の100%部分の賃金という意味での「通常の労働時間の賃金」を観念したり、区分する意味はない。

 菅野本第11版で生じた揺らぎは、菅野教授が25%説に立ち、割増賃金の100%部分に特別な意義を与えようとするゆえのものと考える。最高裁が基本給の内側に「通常の労働時間の賃金」が含まれる、と(割と乱暴に)言ったことで、最高裁は、菅野本の「通常の労働時間の賃金」の定義を否定してしまったのであり、それが菅野本第11版の記述の揺らぎの原因なのである。実は、これは、最高裁が25%説を念頭に置いていないことの現れである、と思うのは邪推だろうか。

 私見では、算定基礎賃金の側に寄せた概念(「通常の労働時間または通常の労働日の賃金」の略称)を「通常の賃金」、算定基礎賃金を前提に労基則19条1項各号に計算により算出した割増賃金の時間単価(100%)部分に寄せた概念を「基礎時給」と呼んではどうかと思っている。「算定基礎時給」でもいいのかもしれないが、用語は短い方がよい。

文中

『注釈労働時間法』=東京大学労働法研究会編『注釈労働時間法』〔荒木尚志〕(1990年9月10日 有斐閣)483頁以下

『注釈労働基準法』=東京大学労働法研究会編『注釈労働基準法 下巻』〔橋本陽子〕(2003年9月30日 有斐閣)629頁以下

菅野和夫教授による「また、」の挿入

 固定残業代(非典型的な割増賃金の支払方法)の論点でリーディングケースとされる高知県観光事件の最高裁判決(平成6年6月13日)。原文は裁判所ホームページで読める。

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 最高裁のホームページでは、該当箇所は以下のようになっている。

四 そこで、上告人らの本訴請求について判断するに、本件請求期間に上告人らに支給された前記の歩合給の額が、上告人らが時間外及び深夜の労働を行った場 合においても増額されるものではなく、通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外及び深夜の割増賃金に当たる部分とを判別することもできないものであった ことからして、この歩合給の支給によって、上告人らに対して法三七条の規定する時間外及び深夜の割増賃金が支払われたとすることは困難なものというべきで あり、被上告人は、上告人らに対し、本件請求期間における上告人らの時間外及び深夜の労働について、法三七条及び労働基準法施行規則一九条一項六号の規定 に従って計算した額の割増賃金を支払う義務があることになる。

 上告人らに支給された前記の歩合給の額が、①上告人らが時間外及び深夜の労働を行った場 合においても増額されるものではなく、②通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外及び深夜の割増賃金に当たる部分とを判別することもできないものであった ことからして、この歩合給の支給によって、上告人らに対して法三七条の規定する時間外及び深夜の割増賃金が支払われたとすることは困難、という判決だと一般に解釈されている。この①要件と②要件の関係を巡り、様々な議論がある。

 もちろん、学者や実務家が判例の意義について議論するのは健全なことである。しかし、学界で権威がある、とされている学者が自著で判旨を勝手に書き換えてしまうとなれば、話は別ではないだろうか。

 菅野和夫教授の『労働法 第11版』(弘文堂 2016年2月29日)498頁では、この高知県観光事件の判旨を以下のように記述している。

* 歩合給と割増賃金 歩合給や出来高給についても、割増賃金規程(37条)の規制は及び、「通常の労働時間の賃金」の計算方法が定められている(労規則一九条一項六号)。そこで、タクシー会社の乗務員に支払われる歩合給に関し、時間外・深夜労働が行われたときも金額が増加せず、また、右の歩合給のうちで通常の労働時間に当たる部分と時間外・深夜の割増賃金に当たる部分とを判別することができない場合には、当該歩合給の支給により時間外・深夜労働の割増賃金が支払われたものとすることはできず、使用者は割増賃金規程に従って計算した割増賃金を支払う義務を負う(高知県観光事件-最二小判平六・六・一三労判六五三号一二頁)。

 目立たないが、①要件と②要件の間に「また、」が挿入されているのである(念のため書いておくと菅野教授は11版のみならず『労働法 第4版』以降ずっと同じ書き方をしている)。菅野教授の周辺では、この後から挿入した「また、」が重要な役割を果たす。実際、接続詞による論理操作を駆使した論文を、弟子の山川隆一教授がまだ講師だった時代に書いている。

 すなわち、山川教授によると、①要件、②要件はいずれも「ない」の形で記述されているので(という趣旨だと思う)、最高裁が示した要件はその反対解釈、ということになり、(1)区分が可能である場合、(2)時間外労働により賃金が増額される場合、が固定残業代の有効要件となる(なぜか①と②の順番がひっくり返る)。その論理操作の過程でさらに、法律用語として熟しているとは言えない「また、」が並列条件を表す法律用語として熟した「及び」に置き換えられる。従って、「(1)区分が可能である場合、及び、(2)時間外労働により賃金が増額される場合」が要件とされる。

 「及び」とその元の「また、」は、菅野教授が挿入した文言なので無視すべきで、本来、重要なのはその先である。すなわち、(1)(2)の両方が並列的に必要(and要件)なのか、どちらかで良いのか(or要件)が問題なのだが、山川教授は、特段の論証なく、①要件と②要件の関係は「または」(or)であるとしてしまうのである。

 ついでに言っておくと、山川教授はこの論理操作の過程で、「言ったり考えたり行ったりする中身」(広辞苑)としての意味と思われる「こと」を、時機、とか局面、という意味を持つ「場合」に置き換えている。

 そう解釈するのは自由だが、何故そう解釈できるのか(すなわち①要件と②要件を形式論理の操作だけでorと決めつけて良いのか)がそもそも問題であり、形式論理の操作のはじめから、自分たちで勝手に挿入した文言に頼っているのだから、それは無理で(しかも最後の「及び」から「または」への変換は論理の飛躍があるように思える)、形式論理の操作だけではなく、最高裁が何でそのように述べたのかについて法解釈の論証が必要であろう。私見では、or要件だと考える場合、全く性質の違う①要件と②要件がなぜ等価となるのか、それら二つは相互にどういう関係にあるのかが問題になるはずだが、山川教授はその点について全く悩んでいないようである。

 いずれにせよ、このような論証を抜きにして、菅野教授が、自著で判旨を紹介するときに、特段の断りなく「また、」を挿入するのはやってはいけないことではないだろうか。

 さて、この点、高知県観光事件の枠組みを踏襲したとされるテックジャパン事件最高裁判決(最判平成24年3月8日)ではどのように記述されているのだろうか。原文は裁判所ホームページで読める。

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  最高裁のホームページでは、該当箇所は以下のようになっている。

(1) 本件雇用契約は,前記2(1)のとおり,基本給を月額41万円とした上で,月間総労働時間が180時間を超えた場合にはその超えた時間につき1時間当たり一定額を別途支払い,月間総労働時間が140時間に満たない場合にはその満たない時間につき1時間当たり一定額を減額する旨の約定を内容とするものであるとろ,この約定によれば,月間180時間以内の労働時間中の時間外労働がされても,基本給自体の金額が増額されることはない。

 また,上記約定においては,月額41万円の全体が基本給とされており,その一部が他の部分と区別されて労働基準法(平成20年法律第89号による改正前のもの。以下同じ。)37条1項の規定する時間外の割増賃金とされていたなどの事情はうかがわれない上,上記の割増賃金の対象となる1か月の時間外労働の時間は,1週間に40時間を超え又は1日に8時間を超えて労働した時間の合計であり,月間総労働時間が180時間以下となる場合を含め,月によって勤務すべき日数が異なること等により相当大きく変動し得るものである。そうすると,月額41万円の基本給について,通常の労働時間の賃金に当たる部分と同項の規定する時間外の割増賃金に当たる部分とを判別することはできないものというべきである。

 これらによれば,上告人が時間外労働をした場合に,月額41万円の基本給の支払を受けたとしても,その支払によって,月間180時間以内の労働時間中の時間外労働について労働基準法37条1項の規定する割増賃金が支払われたとすることはできないというべきであり,被上告人は,上告人に対し,月間180時間を超える労働時間中の時間外労働のみならず,月間180時間以内の労働時間中の時間外労働についても,月額41万円の基本給とは別に,同項の規定する割増賃金を支払う義務を負うものと解するのが相当である(最高裁平成3年(オ)第63号同6年6月13日第二小法廷判決・裁判集民事172号673頁参照)。

  高知県観光事件で①要件とされている部分と②要件とされている部分の間が改行され、②要件の先頭に「また、」が挿入された。あれ、菅野説が採用されたのか?

 しかし、この判決文は②要件も一つの段落で書き記された後、さらに改行されて、「これらによれば、~~月間180時間以内の労働時間中の時間外労働について労働基準法37条1項の規定する割増賃金が支払われたとすることはできない」としたのである。

 広辞苑によると「これら」とは「これ」の複数形なので、「この二つのことによれば、」と置き換えられるだろう。やはり、ニュートラルに見ると、最高裁は、①要件と②要件について、二つの要件の論理関係を明確にしない立場に立っていて、①要件と②要件についてorの関係であると特定する説は(少なくとも)否定されたように思えてならない。というか、論理関係を示さずに二つの要件を示せば、普通は並列関係の要件なのではないだろうか。

 学説ですでにor説が大展開された後であるだけに、最高裁判所がor説に立つ立場を明確にするのなら中間の接続詞は法律用語として熟していない「また、」ではなく並列要件を明確に示す「かつ」などの文言にした上、「これらによれば」の部分は「これらいずれにも該当しないため」などとすべきだろうし、最高裁が論理関係をorと特定したいのなら、そうしただろう。そして、このようにor説に立ってしまうと、すでに述べたように、等価であるはずの①要件と②要件が全く違うことを語っていることについて、どのように整理するのか、という厄介な問題を抱え込むことになる。

 形式論理でも以上のように考えるが、理屈もある。

 私自身は、この最高裁判決は①要件と②要件をand要件と捉えている、と考えている。すなわち、①要件は労基法37条1項から導かれる要件である。割増賃金の性質として時間の増加により逓増する点は古くから学説で指摘されている。一方、②要件は、労基法37条5項から導かれる。割増賃金と算定基礎賃金が明確に区分されない賃金は、制限列挙である同項(及び労基則19条2項)の効力で算定基礎賃金に算入され、割増賃金を支払ったことにならないからである。固定残業代を制度として許容するにせよ、趣旨・性質が不明確だと同項により算定基礎賃金に吸い取られてしまうため、明確区分性の要件が必要なのである。従って、①要件と②要件は、労基法37条の違う項からそれぞれ別個独立に導かれる要件なのであり、そのような①要件と②要件がor関係に立つことはあり得ないのである。法解釈論の余地があるのは、果たして、労基法37条1項は、①要件を崩すことをどこまで許容しているかなのであり、その観点からの議論が必要だと考える。

 

参照

nabeteru1q78.hatenablog.com

メモ:関西ソニー販売事件大阪高裁判決

 菅野和夫教授『労働法』などで、裁判例が固定残業代を認めた代表例とされる関西ソニー販売事件だが、実は、各種の書物で引用されない大阪高裁判決(大阪高判平成元年9月29日)がある。私が発見したものである。元々、『労働判例』に掲載された判決文で別表が削除されていて、判決の趣旨が不明確になっている部分があったので、大阪地裁に立ち寄ったときに別表を確認しようと思って閲覧したのだが、一緒に高裁判決、最高裁判決まで添付されていて驚き、書き取ったのが下記2である。これを地裁判決文に挿入したのが下記1である。大阪高裁判決、最高裁判決、『労働判例』で削除された地裁判決の別表は、労働法律旬報1824号(2014年9月下旬号)の56頁以下に掲載された。その後ウェストロージャパンにも掲載された(1989WLJPCA09296009)。

 いくつかの点を指摘できると思われる。

  • この訴訟は原告の労働者が本人訴訟であること
  • 会社の内規により当該労働者には現在は削除されている旧労基則22条が全面適用されることになっていたこと。従って、本来、使用者には当該労働者に対して労基法37条による時間外割増賃金の支払義務がない可能性がある事案だったこと。
  • そうであるのにセールス手当が23時間分の残業代であることが強調されるが、そのような契約書、就業規則等は一切存在せず、そのような事実認定はすべて使用者による口頭説明を裁判所が採用したものであること

 使用者に労基法37条による時間外割増賃金の支払義務がなかった可能性がある事案であり、このような事案が労基法37条に関する論点である固定残業代の典型事例になり得るのか率直に疑問がある。

 また、事実認定のあり方が、実体的真実主義が尽くされないことが通常である本人訴訟にありがちなものに思われてならず、旧労基則22条適用があると思われる事案なのにそこについて審理を尽くさず37条の割増賃金の検討をする高等裁判所の姿勢自体に疑問を感じざるを得ない。これも、本人訴訟にありがちな、主張立証が尽くされていないことに起因していないか、懸念する。

 いずれにせよ、ここまで踏み込んだ高裁判決があるのに、地裁判決だけ書物に引用し続けるのは、問題が無いのだろうか。固定残業代についてはユニ・フレックス事件(地裁・高裁判決ともに労判に掲載)についても、東大労研の『注釈労働基準法』(有斐閣)において、労働者が逆転勝訴した東京高裁判決が省かれ、敗訴した地裁判決だけが紹介され、それが実務家が書いた手引き書にそのまま転載されたと思われるケースがあるので、問題は少なくないと考える。

1 高裁判決の理由部分を地裁判決文理由部分に挿入したもの(赤字が挿入部分)

理由
一被告はソニー株式会社等の製造する商品を小売店に対し卸売販売することを業とする株式会社であること、原告は昭和四七年三月被告に雇用され、ソニー特約店への家電製品の売り込み等のセールス業務に従事してきたことは当事者間に争いがない。
二被告は、所定時間外労働に対する賃金をセールス手当として原告に支払った旨主張するので検討する。

1  被告は原告に対し、基本給の一七パーセント、すなわち昭和五九年九月分より同六〇年三月分まで月額三万三一八四円、昭和六〇年四月分より同六一年三月分まで月額三万四六九七円、昭和六一年四月分より同年七月分まで月額三万六〇五二円のセールス手当を支給したことは当事者間に争いがない。

2  そこで、被控訴人の支払ったセールス手当が所定労働時間外労働に対する対価の趣旨で支払われたものか否かについて検討するに、当審における控訴人本人尋問の結果、第三号証、成立に争いのない甲第一六号証の一、二、乙第八、第九号証並びに弁論の全趣旨(証拠略)によれば、被告の就業規則及び給与規則においては、別紙就業規則及び給与規則(抄)のとおり規定されていること、前述のようにセールス手当は基 本給月額の一七パーセントであるが、被告は、親会社であるソニー株式会社から送付された原案を基にして、セールスマンの時間外勤務時間が平均して一日約一時間で一か月間では合計二三時間であるという調査結果を参考にして右セールス手当の割合を定めたこと、控訴人は、従業員に対してこれまで一貫して、所定時間外労働に対する賃金はセールス手当として支払っていると説明してきたこと、右セールス手当の額では休日労働に対する割増賃金を充足するものではないので、セールス手当受給者に対しても休日勤務手当を別途支給していることが認められ、昭和五八年四月二一日からは、セールスマンの深夜労働(ただし、一時間単位)に対して深夜勤務手当を支給することになったことが認められる。右事実によれば、被控訴人は、労働時間を正確には把握しがたいセールスマンの勤務形態の特殊性に応じて、休日・深夜労働(但し、一時間単位)を除く所定労働時間外労働に対する割増賃金の支払に代え、右労働に対する対価として定額のセールス手当を支給することとし、その旨給与規則に記載し、従業員にも説明して、現に被控訴人のセールスマンに支給しているものと認められるので、被控訴人が控訴人に対して支払ったセールス手当も右所定労働時間外労働に対する対価の趣旨で支払われたものと認められる。なお、成立に争いのない乙六号証、甲第一一号証、原審証人松尾忠男の証言によると、被控訴人の内規である時間外勤務実施要項の4(1)(ロ)(注)には、外出先等社外での勤務に対しては(昭和六二年規則改正により削除前の)労働基準法施行規則第二二条が全面的に適用されており、一見すると、セールスマンには原則として所定時間外の実労働に対する対価は支給しないとされているかのようにも取られかねない(被控訴人は本訴においてその旨の主張もしている。)が、被控訴人はセールスマンが現実に行った休日・深夜労働に対して休日・深夜労働勤務手当を支給し、右労働を除く所定時間外労働対する対価として定額のセールス手当を支給していることは前記認定のとおりであって、右要項は(文言は正確ではないと考えられるが)被控訴人のこの取扱いを前提として休日・深夜労働の実行手続について規定しているものと考えるのが自然であり(右要項には先の記述に続いて、指示したり行ったことが明確である場合にのみ時間外労働として取り扱う等の記載がある。)、右要項の存在は前記認定の妨げとなるものではない。また、原告は、セールス手当は、外食費、駐車違反の反則金等外勤に伴う様々な支出に対する補償であり、原告が以前勤めていた会社ではそのような取扱であった旨供述するが、他の会社の取扱から 被告のセールス手当の性質を決定するのは妥当とはいえないし、右は原告の考え方でありその裏付けとなる根拠を有するものとは認められないので、右供述は前 認定を左右するものではない。

3 労働基準法三七条は労働時間制の原則の維持を図るとともに、過重な労働に対する労働者への補償を行うとする趣旨から、時間外労働等に対し一定額以上の割増賃金の支払を使用者に命じているところ、同条所定の額以上の割増賃金の支払がなされるかぎりその趣旨は満たされ同条所定の計算方法を用いることまでは要しないので、その支払額が法所定の計算方法による割増賃金額を上回る以上、割増賃金として一定額を支払うことも許される が、現実の労働時間によって計算した割増賃金額が右一定額を上回っている場合には、同法三七条所定の最低基準に基づき労働者は使用者に対しその差額の支払を請求することができるものと解される

4 被告の給与規則では、月給制を取っており、基本給及びセールス手当は前月二一日から当月二〇日までの分が給与の一部として二五日に支払われ、超過勤務手当及び休日勤務手当についても月単位で集計され同様に二五日に支払われる旨定められていることは前認定のとおりであるところ、右事実からして、前月二一日から当月二〇日までの一 か月間における実際の所定時間外労働に対応する賃金とセールス手当の額を比較し、前者が後者を上回っているときはその差額を請求できると解するのが相当である。

5 別紙時間外賃金表のうち、各年度の意味以外の事実については当事者間に争いがない。
  原告が別表(1)記載のとおり所定時間外労働をしたと仮定し右時間外賃金表記載の一時間当たりの基礎賃金額によって計算した場合、一か月分(前月二一日か ら当月二〇日まで)の所定時間外労働に対する賃金額がセールス手当の額を上回るのは、昭和五九年一〇月及び昭和六〇年七月分の二か月分のみであるので、右 二か月については原告主張の所定時間外労働について個別的に検討することとし、その余の月は原告の主張する所定時間外労働よりもセールス手当として多額の 金員が支払われているので、原告が現実に時間外労働をしたか否か検討するまでもなく原告の請求は失当である。

6 (一)昭和五九年一〇月分(同年九月二一日から同一〇月二〇日まで)について
  原告本人尋問の結果及び同本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一二号証の一(原告の日記)によれば、昭和五九年一〇月五日、八日及び 一一日ないし一四日において、原告主張のとおり、上司の指示により所定時間外労働をしたことが認められる。しかし、同年一〇月四日については右甲第一二号証の一の一〇月六日の日付欄には原告主張に副うかのような記載があるものの、成立に争いのない乙第四号証(原告の勤務表)には公休と記載されていることからして、また、同月九日については原告は自己の主張どおり供述するが、右甲第一二号証の一では「一〇月六日の日付欄に「同月九日は遅くなりそうだ」と記載されているのみであり、他に原告が所定時間外労働をしたことを裏付ける確実な証拠もないことからして、右各証拠からではいずれも原告主張のとおり所定時間外労働をしたと認定するのは困難であり、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
(二)昭和六〇年七月分(同年六月二一日から同七月二〇日まで)について原審における原告本人尋問の結果及び同本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一二号証の二(原告の日記)によれば、昭和六〇年六月二一日、七月一一 日ないし一三日において原告主張のとおり、上司の指示により所定時間外労働をしたことが認められる。

 しかし、同年六月二二日については原告の供述のみで他 にそれを裏付ける証拠はないことからして、原告主張のとおり所定時間外労働をしたと認定するのは困難である。同月二五日については、右甲第一二号証の二、 成立に争いのない乙第五号証の七及び原告本人尋問の結果によれば、一七時三〇分から二〇時まで所定時間外労働をしたこと(一八時一五分から二〇時まで時間 外労働をしたことは当事者間に争いがない。)は認められるが、右甲第一二号証の二及び原審における原告本人尋問の結果によれば、原告は当日の勉強会会場に来た控訴人の上司である遠藤課長を会場から追い出したことを所長から注意され同人と口論となったため20時よりも退社時間が遅くなったことが認められるので、その後の時間については労働するために使用者の指揮監督の下にあった時間に該当するか否かには疑問がある。同年七月一四日については、右甲第一二号証の二及び原審・当審における原告本人尋問の結果によれば、その日合展の搬出が行われたこと、原告は合展の搬出のときには二二時ころまで働くことがあるが21時ころに合展の搬出が終ったこともあることが認められるので、当日21時まで時間外労働をしたことは 認められるものの、その後も労働したことを認めるには十分ではなく、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(三)昭和五九年一〇月及び昭和六〇年七月分における原告(告まで一行)の行った所定時間外労働は右認定のとおりであるところ、一時間当たりの基礎賃金額は別紙時間外賃金表記 載のとおりであるから、右各一か月間の所定時間外労働に対応する賃金額がセールス手当の額を下回ることは計算上明らかである。
 7 以上検討のとおり、原告の請求する所定時間外労働に対する賃金はセールス手当としていずれも原告に支払ずみであるから、原告の請求はその余の点につき判断するまでもなく失当である。
三 よって、原告の請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

 

 

 2 大阪高判平成元年9月29日

(※時刻については書き取り時にアラビア数字に書き換えた。)

昭和63年(ネ)第2128号時間外割増賃金請求控訴事件(原審・大阪地方裁判所昭和61年(ワ)7162号)

 

大阪府

上告人 甲野太郎

大阪市浪速区日本橋三丁目八番十八号

被上告人 関西ソニー販売株式会社

右代表者代表取締役 向井田斉

右訴訟代理人弁護士 藤原光一

同         正木隆造

同         守口健治

 

主文

本件控訴を棄却する。

訴訟費用は控訴人の負担とする。

 

事実

第一 申立て

一 控訴

1 原判決を取り消す。

2 被控訴人は、控訴人に対し、金七二万五六三八円を支払え。

3 訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

二 被控訴

主文同旨

 

第二 主張

当事者双方の主張は、次に付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する(但し、原判決四枚目表九行目の「労働基準法」の前に「昭和六二年規則改正により削除前の」を加え、同裏一〇行目の「可能でなく、」の次に「前記」を加える。)。

控訴人の主張)

本件において控訴人の主張する所定時間外労働は、被控訴人が控訴人に対して命じたものであり、控訴人の申し出によってなされたものではなく、しかも当時被控訴人には労使間に三六協定が存在しなかったので、右所定時間外労働は違法であった。そして、就業規則がかかる違法な所定時間外労働を前提としているはずはなく、右労働に就業規則を適用することはできないので、労働基準法三七条のみが必然的に適用されることになる。

 

第三 証拠

本件記録中の原審及び当審の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

 

理由

一 当裁判所も、控訴人の被控訴人に対する本件請求は、失当として棄却すべきものと判断する。その理由は、次に訂正、付加するほか、原判決の理由説示と同一であるから、これを引用する。

1 原判決五枚目裏四行目冒頭に「そこで、被控訴人の支払ったセールス手当が所定労働時間外労働に対する対価の趣旨で支払われたものか否かについて検討するに、当審における控訴人本人尋問の結果、」を加え、同五行目の「三号証」を「第三号証、成立に争いのない甲第一六号証の一、二、乙第八、第九号証並びに弁論の全趣旨」と改め、同九行目の「セールスマン」の前に「親会社であるソニー株式会社から送付された原案を基にして、」を加え、同一一行目の「基に」を「参考にして」と改め、同行の「定めたこと、」の次に「被控訴人は、従業員に対してこれまで一貫して、所定時間外労働に対する賃金はセールス手当として支払っていると説明してきたこと、」を加える。

2 同六枚目表一行目の「が認められ」から同六行目の「認められる。」までを「、昭和五八年四月二一日からは、セールスマンの深夜労働(ただし、一時間単位)に対して深夜勤務手当を支給することになったことが認められる。右事実によれば、被控訴人は、労働時間を正確には把握しがたいセールスマンの勤務形態の特殊性に応じて、休日・深夜労働(但し、一時間単位)を除く所定労働時間外労働に対する割増賃金の支払に代え、右労働に対する対価として定額のセールス手当を支給することとし、その旨給与規則に記載し、従業員にも説明して、現に被控訴人のセールスマンに支給しているものと認められるので、被控訴人が控訴人に対して支払ったセールス手当も右所定労働時間外労働に対する対価の趣旨で支払われたものと認められる。なお、成立に争いのない乙六号証、甲第一一号証、原審証人松尾忠男の証言によると、被控訴人の内規である時間外勤務実施要項の4(1)(ロ)(注)には、外出先等社外での勤務に対しては(昭和六二年規則改正により削除前の)労働基準法施行規則第二二条が全面的に適用されており、一見すると、セールスマンには原則として所定時間外の実労働に対する対価は支給しないとされているかのようにも取られかねない(被控訴人は本訴においてその旨の主張もしている。)が、被控訴人はセールスマンが現実に行った休日・深夜労働に対して休日・深夜労働勤務手当を支給し、右労働を除く所定時間外労働対する対価として定額のセールス手当を支給していることは前記認定のとおりであって、右要項は(文言は正確ではないと考えられるが)被控訴人のこの取扱いを前提として休日・深夜労働の実行手続について規定しているものと考えるのが自然であり(右要項には先の記述に続いて、指示したり行ったことが明確である場合にのみ時間外労働として取り扱う等の記載がある。)、右要項の存在は前記認定の妨げとなるものではない。また、」と、同九行目の「証言」を「供述」とそれぞれ改める。

3 同六枚目裏一行目の「三七条は」の次に「、労働時間制の原則の維持を図るとともに、過重な労働に対する労働者への補償を行うとする趣旨から、」を、同八行目の「場合には、」の次に「同法三七条所定の最低基準に基づき」を、同九行目の「できる」の次に「ものと解される」を、同一〇行目の「給与規則では、」の次に「月給制を取っており、」をそれぞれ加える。

4 同八枚目表一行目の「号証の一」の次に「の一〇月六日の日付欄」を、同行の「副う」の次に「かのような」を加え、同五行目の「「その日は」を「一〇月六日の日付欄に「同月九日は」と改め、同七行目の「裏付ける」の次に「確実な」を、同末行の「原告本人」の前に「原審における」をそれぞれ加える。

5 同八枚目裏九行目及び同末行の「原告本人」の前にいずれも「原審における」を加える。

6 同九枚目表一行目の「自己の発言内容を」を「当日の勉強会会場に来た控訴人の上司である遠藤課長を会場から追い出したことを」と改め、同二行目の「口論となったため」の次に「20時よりも」を加え、同三行目の「原告」から同四行目の「ならない」までを「、労働するために使用者の指揮監督の下にあった時間に該当するか否かには疑問がある」と改め、同五行目の「原告本人」の前に「原審・当審における」を加え、同八行目の「と認められる」から同九行目の「30分」までを「が、21時」と、同行の「があることも」を「もあることが」と、同一〇行目の「19時30分」を「当日21時」とそれぞれ改める。

二 控訴人は、当時被控訴人には三六協定が存在せず控訴人主張の所定労働時間外労働は違法であり、違法な所定労働外時間には就業規則を適用することはできないので、右所定労働時間外労働には労働基準法三七条のみが必然的に適用されることになると主張するが、仮に被控訴人に当時三六協定が存在せずその意味で被控訴人の指示に基づく違法な所定時間外労働が行われたとしても、前に判示した同法三七条の趣旨に照らして、同条所定の計算方法による割増賃金の支払に代えて同金額以上の一定額の金員の支払を義務づけている就業規則を適用して右金員を支払った場合に、なお同法三七条所定の金員を支払うべきものとは到底解することができないので、控訴人の主張は失当である。

三 以上によれば、原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却すること年、控訴費用の負担につき、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

 

大阪高等裁判所第五民事部

裁判長裁判官 舟木信光

   裁判官 井上 清

   裁判官 坂本倫城