残業代請求の理論と実践

弁護士渡辺輝人のブログ。残業代(労働時間規制)にまつわる法律理論のメモ、裁判例のメモ、収集した情報のメモ等に使います。

メモ:菅野和夫『労働法』における固定残業代の記述の変化

 菅野和夫教授の『労働法』(弘文堂)の記述の変遷。記述の仕方が変わったり、書き足しがあった場合は太字下線を付した。若干のコメントも付す。

菅野和夫『労働法』初版(1985年 弘文堂)220頁

(4)法所定の計算方法によらない割増賃金 割増賃金の規定が使用者に命じているのは、要するに、時間外・休日・深夜労働に対し一定額以上の割増賃金を支払うことにあるので、そのような額の割増賃金が支払われるかぎりは同規定所定の計算方法をそのまま用いなくてもよい。たとえば、割増賃金の計算の基礎に算入すべき賃金を除外しているが、割増率を高くしているために実際に支払われる割増賃金が法所定の計算による割増賃金以上となるという場合には、割増賃金不払いの法違反は成立しない(昭二四・一・二八基収三九四七号)。また、法所定の割増賃金に代えて一定額の手当を支払うことも、法所定の計算による割増賃金を下回らない限りは適法である(荒木尚志[批判]ジュリ八一九号一五四頁)。

 この間に小里機材事件の判決(東京地裁判決1987年1月30日、東京高判1987年11月30日、最判1988年7月14日。三つとも労判523号6頁以下掲載)が出され、『労働判例』(1988年10月15日号)に掲載され、同地裁判決で明確区分性要件に言及したが、『労働法』第2版では言及なし。

菅野和夫『労働法』第2版補正版(1989年4月20日 弘文堂)216頁

* 法所定の計算方法によらない割増賃金  割増賃金の規定が使用者に命じているのは、要するに、時間外・休日・深夜労働に対し一定額以上の割増賃金を支払うことにあるので、そのような額の割増賃金が支払われるかぎりは同規定所定の計算方法をそのまま用いなくてもよい。たとえば、割増賃金の計算の基礎に算入すべき賃金を除外しているが、割増率を高くしているために実際に支払われる割増賃金が法所定の計算による割増賃金以上となるという場合には、割増賃金不払いの法違反は成立しない(昭二四・一・二八基収三九四七号)。また、法所定の割増賃金に代えて一定額の手当を支払うことも、法所定の計算による割増賃金を下回らない限りは適法である。

菅野和夫『労働法』第3版(1994年5月30日 弘文堂)228~229頁

* 法所定の計算方法によらない割増賃金  割増賃金の規定が使用者に命じているのは、要するに、時間外・休日・深夜労働に対し一定額以上の割増賃金を支払うことにあるので、そのような額の割増賃金が支払われるかぎりは同規定所定の計算方法をそのまま用いなくてもよい。たとえば、割増賃金の計算の基礎に算入すべき賃金を除外しているが、割増率を高くしているために実際に支払われる割増賃金が法所定の計算による割増賃金以上となるという場合には、割増賃金不払いの法違反は成立しない(昭二四・一・二八基収三九四七号)。また、法所定の割増賃金に代えて一定額の手当を支払うことも、法所定の計算による割増賃金を下回らない限りは適法である(営業社員の時間外労働手当を営業手当として固定額で支払うことも、法所定の割増手当額を上回っていれば適法。関西ソニー販売事件-大阪地判昭六三・一〇・二六労判五三〇号四〇頁、三好屋商店事件-東京地判昭六三・五・二七・労判五一九号五九頁)。ただし、法所定の計算方法によらない場合にも、割増賃金として法所定の額が支払われているか否かを判定できるように、割増賃金相当部分とそれ以外の賃金部分とを明確に区別することを要する(国際情報産業事件-東京地判平三・八・二七労経速一四三七号二四頁)。

 第3版で初めて明確区分性の要件に言及するが、小里機材事件には言及しない。高知県観光事件の最高裁判決は直後の1994年6月13日に出されており、惜しくも出版タイミングと合わなかった。

菅野和夫『労働法』第4版2刷(1996年1月15日 弘文堂)239~240頁

* (註:第3版と同じ)

** 歩合給と割増賃金 歩合給や出来高給についても、法三七条の規制は及び、「通常の労働時間の賃金」の計算方法が定められている(労規則一九条一項六号)。そこで、タクシー会社の乗務員に支払われる歩合給に関し、時間外・深夜労働が行われたときも金額が増加せず、また、右の歩合給のうちで通常の労働時間に当たる部分と時間外・深夜の割増賃金に当たる部分とを判別することができない場合には、当該歩合給の支給により時間外・深夜労働の割増賃金が支払われたものとすることはできず、使用者は右諸規定に従って計算した割増賃金を支払う義務を負う(高知県観光事件-最二小判平六・六・一三労判六五三号一二頁)。

 第4版で高知県観光事件最高裁判決に言及。「また、」の挿入問題。

菅野和夫『労働法』第6版2刷(2004年1月15日 弘文堂)285頁

* 法所定の計算方法によらない割増賃金  割増賃金の規定が使用者に命じているのは、要するに、時間外・休日・深夜労働に対し一定額以上の割増賃金を支払うことにあるので、そのような額の割増賃金が支払われるかぎりは同規定所定の計算方法をそのまま用いなくてもよい。たとえば、割増賃金の計算の基礎に算入すべき賃金を除外しているが、割増率を高くしているために実際に支払われる割増賃金が法所定の計算による割増賃金以上となるという場合には、割増賃金不払いの法違反は成立しない(昭二四・一・二八基収三九四七号)。また、法所定の割増賃金に代えて一定額の手当を支払うことも、法所定の計算による割増賃金を下回らない限りは適法である(営業社員の時間外労働手当を営業手当として固定額で支払うことも、法所定の割増手当額を上回っていれば適法。関西ソニー販売事件-大阪地判昭六三・一〇・二六労判五三〇号四〇頁、三好屋商店事件-東京地判昭六三・五・二七・労判五一九号五九頁)。ただし、法所定の計算方法によらない場合にも、割増賃金として法所定の額が支払われているか否かを判定できるように、割増賃金相当部分とそれ以外の賃金部分とを明確に区別することを要する(国際情報産業事件-東京地判平三・八・二七労経速一四三七号二四頁。年俸制社員にも同じ規制が及ぶ-創栄コンサルタント事件-大阪地判平一四・五・一七労判八二八号一四頁)。

** 歩合給と割増賃金 歩合給や出来高給についても、法三七条の規制は及び、「通常の労働時間の賃金」の計算方法が定められている(労規則一九条一項六号)。そこで、タクシー会社の乗務員に支払われる歩合給に関し、時間外・深夜労働が行われたときも金額が増加せず、また、右の歩合給のうちで通常の労働時間に当たる部分と時間外・深夜の割増賃金に当たる部分とを判別することができない場合には、当該歩合給の支給により時間外・深夜労働の割増賃金が支払われたものとすることはできず、使用者は右諸規定に従って計算した割増賃金を支払う義務を負う(高知県観光事件-最二小判平六・六・一三労判六五三号一二頁。参照、徳島南海タクシー事件-最三小決平成一一・一二・一四労判七七五号一四頁)。

 以降、第10版(2012年12月15日 弘文堂)まで同じ記述。安定期と言える。固定残業代に関する判例・裁判例が2012年前後に激しく動き始めていることも表している。テックジャパン事件最高裁判決(最判平成24年3月8日)は出版前に出されたが、第10版において、分析・原稿の修正をするには間がなかったと思われる。

菅野和夫『労働法』第11版(2016年2月29日 弘文堂)498~499頁

(6)法所定の計算方法によらない割増賃金 割増賃金の規定が使用者に命じているのは、要するに、時間外・休日・深夜労働に対し同規定の基準を満たす一定額以上の割増賃金を支払うことにあるので、そのような額の割増賃金が支払われるかぎりは同規定所定の計算方法をそのまま用いなくてもよい。たとえば、割増賃金の計算の基礎に算入すべき賃金を除外しているが、割増率を高くしているために実際に支払われる割増賃金が法所定の計算による割増賃金以上となるという場合には、割増賃金不払いの法違反は成立しない(昭24・1・28基収3947号)。また、法所定の割増賃金に代えて一定額の手当を支払うことも、法所定の計算による割増賃金を下回らない限りは適法である22)。ただし、法所定の計算方法によらない場合にも、割増賃金として法所定の額が支払われているか否かを判定できるように、通常の労働時間の賃金部分と割増賃金相当部分とを明確に区別することを要する23)

* 歩合給と割増賃金 歩合給や出来高給についても、割増賃金規程(三七条)の規制は及び、「通常の労働時間の賃金」の計算方法が定められている(労規則一九条一項六号)。そこで、タクシー会社の乗務員に支払われる歩合給に関し、時間外・深夜労働が行われたときも金額が増加せず、また、右の歩合給のうちで通常の労働時間に当たる部分と時間外・深夜の割増賃金に当たる部分とを判別することができない場合には、当該歩合給の支給により時間外・深夜労働の割増賃金が支払われたものとすることはできず、使用者は割増賃金規程に従って計算した割増賃金を支払う義務を負う(高知県観光事件-最二小判平6・6・13労判653号12頁。参照、徳島南海タクシー事件-最三小決平成11・12・14労判775号14頁)

** 一定範囲の労働時間に対する定額賃金(時間外割増なし)の合意

最近のテックジジャパン事件―最一小判平24・3・8(労判1060号5頁)は、一定範囲の労働時間に対する割増賃金込みの定額賃金の適法性いかん、という新たな実際的問題を明らかにしている。

 この事件では、Y会社は、その雇用する契約社員X(プログラマー)に対し、所定労働時間は月160時間とし、賃金は、月間の総労働時間が140時間~180時間であれば月額41万円の固定額とし、月間の総労働時間が180時間をこえる場合には、こえる時間につき1時間当たり上記月額を上記月所定時間で除した時間当たり賃金額を支払い、140時間に満たない場合は、足りない時間につき時間当たり賃金額を控除する、との取扱いを行った。

本判決では、月間総労働時間が180時間以下であった月についての割増賃金支払義務の有無が問題となった。

 原審は、Xは、1カ月の賃金額が正社員より7万円も多い41万円であることから、標準的な月間勤務時間が160時間であることを念頭に置きつつ、それを月間20時間上回っても時間外手当を支給されない一方、月間20時間下回っても上記金額から控除がなされないとの幅のある給与支給方法を受け入れたものであり、正社員よりも格段に有利な賃金額を代償措置として、月間160時間から180時間の間の労働時間に関する割増賃金請求権をその自由意思によって放棄したものといえる、と判断した。

 しかし、最高裁は、原審判断を次のように覆した。

(1)本件の労働時間と賃金に関する約定によれば、毎月の時間外労働時間は1日の実労働時間数や1月の所定労働日数の変化によって相当大きく変動しうるにもかかわらず、41万円の定額賃金額の中における通常支払われるべき賃金額と労基法(37条1項)によって支払われるべき割増賃金にあたる部分とを判別することができない。このような場合には、割増賃金が支払われていると認めることができないことは当裁判所の判例高知県観光事件―最二小判平6・6・13労判653号12頁)とするところである。

(2)また、労働者による賃金債権の放棄がされたというためには、その旨の意思表示があり、それが当該労働者の自由な意思に基づくものであることが明確でなければならないところ(シンガー・ソーイング・メシーン・カムパニー事件―最二小判昭48・1・19民集27巻1号27頁)、①そもそも本件雇用契約の締結当時またはその後にXが時間外手当の請求権を放棄する旨の意思表示をしたことを示す事情の存在がうかがわれず、また、②Xの毎月の時間外労働時間は相当大きく変動し得るものであり、Xがその時間数をあらかじめ予測することが容易でないことからすれば、Xの自由な意思に基づく時間外手当の請求権を放棄する旨の意思表示があったとはいえない。

 上記のように、本判決は、まず第1に、本件のような時間外割増のない定額賃金制度についても、通常の労働時間の賃金部分と時間外・深夜労働の割増賃金部分とを判別できない場合には、時間外・深夜労働の割増賃金が支払われたものとすることはできないとの判例法理がそのまま妥当することを明らかにした(判旨(1))。

 それでは、割増賃金込みの基本給は一切許されないのか、割増賃金を放棄したという理屈はどうかというのが次の論点である。最高裁は、労働者による賃金債権の放棄がされたというためには、当該労働者の自由な意思に基づく明確な意思表示がなければならない、との判例を引用したうえ、①本件契約締結時またはその後において、Xが割増賃金請求権放棄の意思表示を行ったとの事実はうかがえず、②また、本件における月額41万円定額賃金制の合意の中に、月間140~180時間の労働に関する割増賃金放棄の意思表示を含むものと解釈すべき合理性は認められない、と判示した。労基法所定の割増賃金請求権も放棄が全くありえないわけではないことを示唆しつつも、放棄の意思表示と理解しうる事情が必要であること、そして、たとえそのような事情がある場合でも、それが自由な合理的意思表示であったと評価するには慎重な判断を要すること、を示した重要な判例といえよう(文献として、岩出誠「みなし割増賃金をめぐる判例法理の動向とその課題」菅野古稀・労働法学の展望337頁以下)。

 

22) 営業社員の時間外労働手当を営業手当として固定額で支払うことも、法所定の割増手当額を上回っていれば適法である。関西ソニー販売事件-大阪地判昭63・10・26労判530号40頁、三好屋商店事件-東京地判昭63・5・27労判519号59頁。

23) 国際情報産業事件-東京地判平3・8・27労経速1437号24頁。年俸制社員にも同じ規制が及ぶ。創栄コンサルタント事件-大阪地判平14・5・17労判828号14頁。

 第2版以降、固定残業代の論点自体が「*」の階層に落ちていたが、第11版では括弧数字が振られ項目立てされた。この論点の重要性が増したことを示している。

 この間に出されたアクティリンク事件、イーライフ事件等の下級審裁判例や、テックジャパン事件の櫻井龍子判事補足意見にも言及しなかった。関西ソニー販売事件は、高裁判決があり、内規の上で労基則22条適用事案で、割増賃金37条の適用がそもそもない可能性があることが分かったが、裁判例として撤回されていないし、地裁判決のまま引用されている。

 テックジャパン事件で「通常の月給制」について、最高裁判所が時間比例性要件に再び言及したが、その点について言及しなかった。参照:菅野和夫教授による「また、」の挿入

 テックジャパン事件最高裁判決は「これらによれば、」としたうえで、高知県観光事件の最高裁判例を「参照」しているが、これを専ら判別要件のこととして高知間観光事件を参照しており、判旨の引用が誤引用されている。