残業代請求の理論と実践

弁護士渡辺輝人のブログ。残業代(労働時間規制)にまつわる法律理論のメモ、裁判例のメモ、収集した情報のメモ等に使います。

菅野和夫教授による「また、」の挿入

 固定残業代(非典型的な割増賃金の支払方法)の論点でリーディングケースとされる高知県観光事件の最高裁判決(平成6年6月13日)。原文は裁判所ホームページで読める。

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 最高裁のホームページでは、該当箇所は以下のようになっている。

四 そこで、上告人らの本訴請求について判断するに、本件請求期間に上告人らに支給された前記の歩合給の額が、上告人らが時間外及び深夜の労働を行った場 合においても増額されるものではなく、通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外及び深夜の割増賃金に当たる部分とを判別することもできないものであった ことからして、この歩合給の支給によって、上告人らに対して法三七条の規定する時間外及び深夜の割増賃金が支払われたとすることは困難なものというべきで あり、被上告人は、上告人らに対し、本件請求期間における上告人らの時間外及び深夜の労働について、法三七条及び労働基準法施行規則一九条一項六号の規定 に従って計算した額の割増賃金を支払う義務があることになる。

 上告人らに支給された前記の歩合給の額が、①上告人らが時間外及び深夜の労働を行った場 合においても増額されるものではなく、②通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外及び深夜の割増賃金に当たる部分とを判別することもできないものであった ことからして、この歩合給の支給によって、上告人らに対して法三七条の規定する時間外及び深夜の割増賃金が支払われたとすることは困難、という判決だと一般に解釈されている。この①要件と②要件の関係を巡り、様々な議論がある。

 もちろん、学者や実務家が判例の意義について議論するのは健全なことである。しかし、学界で権威がある、とされている学者が自著で判旨を勝手に書き換えてしまうとなれば、話は別ではないだろうか。

 菅野和夫教授の『労働法 第11版』(弘文堂 2016年2月29日)498頁では、この高知県観光事件の判旨を以下のように記述している。

* 歩合給と割増賃金 歩合給や出来高給についても、割増賃金規程(37条)の規制は及び、「通常の労働時間の賃金」の計算方法が定められている(労規則一九条一項六号)。そこで、タクシー会社の乗務員に支払われる歩合給に関し、時間外・深夜労働が行われたときも金額が増加せず、また、右の歩合給のうちで通常の労働時間に当たる部分と時間外・深夜の割増賃金に当たる部分とを判別することができない場合には、当該歩合給の支給により時間外・深夜労働の割増賃金が支払われたものとすることはできず、使用者は割増賃金規程に従って計算した割増賃金を支払う義務を負う(高知県観光事件-最二小判平六・六・一三労判六五三号一二頁)。

 目立たないが、①要件と②要件の間に「また、」が挿入されているのである(念のため書いておくと菅野教授は11版のみならず『労働法 第4版』以降ずっと同じ書き方をしている)。菅野教授の周辺では、この後から挿入した「また、」が重要な役割を果たす。実際、接続詞による論理操作を駆使した論文を、弟子の山川隆一教授がまだ講師だった時代に書いている。

 すなわち、山川教授によると、①要件、②要件はいずれも「ない」の形で記述されているので(という趣旨だと思う)、最高裁が示した要件はその反対解釈、ということになり、(1)区分が可能である場合、(2)時間外労働により賃金が増額される場合、が固定残業代の有効要件となる(なぜか①と②の順番がひっくり返る)。その論理操作の過程でさらに、法律用語として熟しているとは言えない「また、」が並列条件を表す法律用語として熟した「及び」に置き換えられる。従って、「(1)区分が可能である場合、及び、(2)時間外労働により賃金が増額される場合」が要件とされる。

 「及び」とその元の「また、」は、菅野教授が挿入した文言なので無視すべきで、本来、重要なのはその先である。すなわち、(1)(2)の両方が並列的に必要(and要件)なのか、どちらかで良いのか(or要件)が問題なのだが、山川教授は、特段の論証なく、①要件と②要件の関係は「または」(or)であるとしてしまうのである。

 ついでに言っておくと、山川教授はこの論理操作の過程で、「言ったり考えたり行ったりする中身」(広辞苑)としての意味と思われる「こと」を、時機、とか局面、という意味を持つ「場合」に置き換えている。

 そう解釈するのは自由だが、何故そう解釈できるのか(すなわち①要件と②要件を形式論理の操作だけでorと決めつけて良いのか)がそもそも問題であり、形式論理の操作のはじめから、自分たちで勝手に挿入した文言に頼っているのだから、それは無理で(しかも最後の「及び」から「または」への変換は論理の飛躍があるように思える)、形式論理の操作だけではなく、最高裁が何でそのように述べたのかについて法解釈の論証が必要であろう。私見では、or要件だと考える場合、全く性質の違う①要件と②要件がなぜ等価となるのか、それら二つは相互にどういう関係にあるのかが問題になるはずだが、山川教授はその点について全く悩んでいないようである。

 いずれにせよ、このような論証を抜きにして、菅野教授が、自著で判旨を紹介するときに、特段の断りなく「また、」を挿入するのはやってはいけないことではないだろうか。

 さて、この点、高知県観光事件の枠組みを踏襲したとされるテックジャパン事件最高裁判決(最判平成24年3月8日)ではどのように記述されているのだろうか。原文は裁判所ホームページで読める。

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  最高裁のホームページでは、該当箇所は以下のようになっている。

(1) 本件雇用契約は,前記2(1)のとおり,基本給を月額41万円とした上で,月間総労働時間が180時間を超えた場合にはその超えた時間につき1時間当たり一定額を別途支払い,月間総労働時間が140時間に満たない場合にはその満たない時間につき1時間当たり一定額を減額する旨の約定を内容とするものであるとろ,この約定によれば,月間180時間以内の労働時間中の時間外労働がされても,基本給自体の金額が増額されることはない。

 また,上記約定においては,月額41万円の全体が基本給とされており,その一部が他の部分と区別されて労働基準法(平成20年法律第89号による改正前のもの。以下同じ。)37条1項の規定する時間外の割増賃金とされていたなどの事情はうかがわれない上,上記の割増賃金の対象となる1か月の時間外労働の時間は,1週間に40時間を超え又は1日に8時間を超えて労働した時間の合計であり,月間総労働時間が180時間以下となる場合を含め,月によって勤務すべき日数が異なること等により相当大きく変動し得るものである。そうすると,月額41万円の基本給について,通常の労働時間の賃金に当たる部分と同項の規定する時間外の割増賃金に当たる部分とを判別することはできないものというべきである。

 これらによれば,上告人が時間外労働をした場合に,月額41万円の基本給の支払を受けたとしても,その支払によって,月間180時間以内の労働時間中の時間外労働について労働基準法37条1項の規定する割増賃金が支払われたとすることはできないというべきであり,被上告人は,上告人に対し,月間180時間を超える労働時間中の時間外労働のみならず,月間180時間以内の労働時間中の時間外労働についても,月額41万円の基本給とは別に,同項の規定する割増賃金を支払う義務を負うものと解するのが相当である(最高裁平成3年(オ)第63号同6年6月13日第二小法廷判決・裁判集民事172号673頁参照)。

  高知県観光事件で①要件とされている部分と②要件とされている部分の間が改行され、②要件の先頭に「また、」が挿入された。あれ、菅野説が採用されたのか?

 しかし、この判決文は②要件も一つの段落で書き記された後、さらに改行されて、「これらによれば、~~月間180時間以内の労働時間中の時間外労働について労働基準法37条1項の規定する割増賃金が支払われたとすることはできない」としたのである。

 広辞苑によると「これら」とは「これ」の複数形なので、「この二つのことによれば、」と置き換えられるだろう。やはり、ニュートラルに見ると、最高裁は、①要件と②要件について、二つの要件の論理関係を明確にしない立場に立っていて、①要件と②要件についてorの関係であると特定する説は(少なくとも)否定されたように思えてならない。というか、論理関係を示さずに二つの要件を示せば、普通は並列関係の要件なのではないだろうか。

 学説ですでにor説が大展開された後であるだけに、最高裁判所がor説に立つ立場を明確にするのなら中間の接続詞は法律用語として熟していない「また、」ではなく並列要件を明確に示す「かつ」などの文言にした上、「これらによれば」の部分は「これらいずれにも該当しないため」などとすべきだろうし、最高裁が論理関係をorと特定したいのなら、そうしただろう。そして、このようにor説に立ってしまうと、すでに述べたように、等価であるはずの①要件と②要件が全く違うことを語っていることについて、どのように整理するのか、という厄介な問題を抱え込むことになる。

 形式論理でも以上のように考えるが、理屈もある。

 私自身は、この最高裁判決は①要件と②要件をand要件と捉えている、と考えている。すなわち、①要件は労基法37条1項から導かれる要件である。割増賃金の性質として時間の増加により逓増する点は古くから学説で指摘されている。一方、②要件は、労基法37条5項から導かれる。割増賃金と算定基礎賃金が明確に区分されない賃金は、制限列挙である同項(及び労基則19条2項)の効力で算定基礎賃金に算入され、割増賃金を支払ったことにならないからである。固定残業代を制度として許容するにせよ、趣旨・性質が不明確だと同項により算定基礎賃金に吸い取られてしまうため、明確区分性の要件が必要なのである。従って、①要件と②要件は、労基法37条の違う項からそれぞれ別個独立に導かれる要件なのであり、そのような①要件と②要件がor関係に立つことはあり得ないのである。法解釈論の余地があるのは、果たして、労基法37条1項は、①要件を崩すことをどこまで許容しているかなのであり、その観点からの議論が必要だと考える。

 

参照

nabeteru1q78.hatenablog.com